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M子の、M子による、M子のためのブログ

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歩きに行くときは絶対にお財布を持たないことだと今日しみじみと思いました。Ⅰ時間近く歩いたら汗が背中から腰へと流れて肌着がグッショリ濡れ気持ちが悪いです。今日こそはスーパーに寄らないぞと心に決め通り過ぎたまでは良かったのに、ブッテックのウインドウに目をやったばっかしに馬鹿なことをしました。

一旦通り過ぎてから引き返して見直してたら中から店主の女性がドアを開けて「どうぞ見るだけ見て下さい」って、あかんたれの私は断れずに店内に入りますが、一度手を通して着てみてと言われても汗をかいてるからと、其処はマナーとして断り、代わりに店主に着て貰いました。

ウインドウに飾られてるのを見るのと、人間が着た姿を見るのではイメージが全然違います。気が弱い私は買わずに出れなくて他にブラウスは無いですか?と、出された物が気に入ったのは良いけど寸法がやや小さめです。食べるのを控えて痩せなきゃ着られそうにないと解って居ながら買いました。帰って着てみて「やっぱりパチパチやわ」と独り言。

素直にスーパーに入って買い物をしときゃ~良かったって。結局安物買いの銭失いを地で行ったようです。去年からこんな服が数着、ホンマにどないしょう?って思って居ます。服に合わせて痩せんとあかんなんて本末転倒も良いところです。問題はそんなに簡単に痩せられないから困って居ます。


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日頃から頂いた書類の裏が白けりゃ線を引き、色々の数字を記録するのに再利用して使っています。先日アンケート用紙が送られて来たのが丁度ピッタシだと喜んでいたら、今日其の会社から電話が有り、アンケートに記入して送り返して下さいって催促され、ひょっとして線を引いたんじゃないかかと慌てて見直しました。危うくセーフです。

アンケートと言っても5項目の質問に対して一個の回答を四角い枠にチェックするだけで其れが5段有る簡単なものだし、返信封筒付きだからどうってことは無いのですが、折角の紙の裏面とお別れとは、何だか損した気分です。わざわざ電話で催促して来る位だからと仕方なく返信する事にしました。

一昨日スーパーで買い物をして、夜に家計簿に付けて居たらグレープフルーツを2個買ったのが、レシートには3個分の記入が有ります。昔から現金取引はその場で言わなきゃ駄目だと聞かされていたけど一応言うだけ言えば気が済むと思い今日レジで3個分払った旨をレシートを見せながら伝えると、即、申し訳御座いませんと言い返金してくれたのにはビックリしました。

私の顔が恐かったから?いいえ、自分で言うのも何ですが至極穏和な顔だと自負していますし、人様との争い事は嫌いだから、買い物をした序でに普通に言っただけなのに、まさか返金されるとは以外です。此の数日中に行く度にアホほど買い物をするから冷蔵庫に食料が満杯状態で難儀しています。

最近は成る可くスーパーを避けてウォーキングをしていたのに、間違いレシートの事を言いに行ったばっかりに又ぞろ悪い癖が頭をもたげたようです。私は買い物依存症かって疑いたくなって居ます。
宗教や信仰は学ぶものではなく、縁によって導かれていくものらしいです。人間は「死」を実感すると科学や宗教に拠りどころを求めようとしますが、宗教がタブーの日本は厄介で、公共の場で宗教色を出せないから宮沢賢治の作中に法華経や日蓮に対するひそかな思いも教科書に載せるときは洗浄して除染したり、金子みすずの詩の背景にある浄土真宗も表に出てこないのです。

あらゆる文化の土台を作っているのが宗教で、宗教は知識でも無ければ勉強するものでも無く、縁がある人が入っていきます。老いを迎えたときこそ、自力ではなく「他力」への発想転換を、人生は自分の力で何かを成し遂げるのではなく、、生かされていると言う事のようです。仏教はヨーロッパで、「苦」から出発する虚無的な思想だと最初は嫌われていたけど、人間の一生と言うのは思うに任せぬことばかりで、そんなに頑張らなくても良いんじゃないかとも言っています。

思い出を噛み締め、ノスタルジーに浸ることも、幸せに生きるヒント。思うに任せぬときはゆっくり時間を掛けて本を読んだり音楽に親しんだりと百人百様、自分らしく前向きに特権を利用しながら長い時間を掛けて坂道を下山して行けば良いとのことです。最後に、思うに任せぬ人生を優雅に楽しみながら降りていきたいですね。と結んでいらっしゃいます。

難しいことを言われても理解出来ない私でも、何となく分かったような気がしてきました。自分の人生を振り返った時、多くの素晴らしい人達との出会いが有り、手を引かれたり背中を押されたりして今の生活が有るのです。自分なりに良い星のもとに生かされてると思っています。
五木寛之氏の書いた物を読むと、途中で放棄することなく今日まで生きてきた。それだけで人間には価値があるんだそうです。成る程、言われてみればそうかもって思ってしまいます。人は死んだらどうなるかと或る人に問うたら、「うまれるまでに長いプロセスを経てるから死も躰は非常に長い時間を掛けて死んでいくと言われたそうです。

死と向き合うとか言うけど亡くなった人と冥土対談でも出来たら良いのですが彼の世から帰って来た人は居ないので、死に対する心構えがわからない。釈迦は、霊の世界をどう思うかと問われたときに、「無記」として黙して語らず。釈迦は自分が考え、体験し、確証を得た事しか語らなかったのです。

昔は先にあの世に行った家族とか友達に会えると言う再会の気持ちを持って居たのが今はそう言う実感が薄れてあの世を信じる人や迷ってる人も居て、人間はその瞬間瞬間で考え方が変わり、揺れながら生きてるものなんだとか。五木氏自身も生きていくのが嫌になった事が有り、その時ふっと心の中に蘇った言葉に救われて生きてきたと仰っています。

自分の意志と関係なく生まれて来たにも関わらず途中で放棄しないで、どう生きてきたか、何を成したかでは無く、此の不確かな世を生きてきたと言うだけでも、人間の価値が有るんじゃないかと、死を考えるときに思われるようです。

日本人は下山の楽しみ方をもっと知った方がいい。老いを上手に生きていくと言うことは、登ってきた山をいかに上手に下りていくかと言うことで、人生の下山はトボトボ降りて行く感じがしますが、芭蕉の最晩年に「この道や行く人なしに秋の暮れ」と残してるけど、安全にゆとりをもって優雅に、エンジョイしながら下山して行くのが大事だとか。同世代を生きてきた五木氏の語る言葉が好きで、明日も続きを書くつもりです。

     今日は7000歩ほど歩きました。
行楽のシーズンが間近になり、お花見弁当の心配をしなくても大丈夫って物を見付けました。但し自分一人分の普通のお弁当箱用です。最近お野菜の値段が高いので野菜の冷凍食品を物色していた時に目に入ったのが、小松菜のおひたし・たけのこの土佐煮・きんぴらごぼう・ひじきの煮付け・いんげんのごまあえ・切り干し大根の煮付け。

どれも小さな紙の器に独り分に分けられて6種類が一袋に入っています。冷凍だけど自然解凍で食べられるから、朝出掛ける時に持っていけば丁度ランチに間に合うようです。先日も買って食べて結構美味しかったので今日は違うのを買ってみました。時々デパートのお弁当を買いますが、やはりスーパーの方が安くつくようです。

独りだと油を使う料理はしないから、偶に少し食べたくなるコロッケも小振りでチンすれば良いので買って食べています。家族の多いお家には不向きだと思われますが、独り暮らしには買う食材が限られるので、色んな種類の物で調理された冷凍食品は本当に便利で良いと思い之からも大いに利用しようとしています。

ずっと以前、子供が学生の頃にお弁当を持たせる時、親のセンスが足りなくて、今のように冷凍食品で彩{いろど}りの良い物が有れば何とか誤魔化せたのにと遠い昔の苦い思いでが甦って来ました。近々マンションの中庭の桜が咲いたらお弁当を作りベランダで食べるのも良いかなと暇人はしょうもないことばかり考えています。
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M子
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性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
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趣味:
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自己紹介:
冥土のほとりを歩きつつ、ブログ。
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