忍者ブログ
M子の、M子による、M子のためのブログ

* admin *  * write *  * res *
[1154]  [1155]  [1156]  [1157]  [1158]  [1159]  [1160]  [1161]  [1162]  [1163]  [1164
<<04 * 05/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  *  06>>
今日は京都の姉の処に行って来ました。先ずデパートに行き頼まれた食品のお買い物です。中華弁当が食べたいと言われて、度々お腹をこわすと聞いて居たので、油っぽいけど大丈夫ですか?と一応念を押します。恵方巻きも買って来るようにとも言われたので、デパ地下に行くと何処の売場も巻きすしだらけって感じです。

恵方を向いて丸かじりする為に巻いた侭のしか売って居ないようなので横着者の私は切るのが面倒だから切った物は無いのかと聞いたら、勿論N0と言われて仕方なく切られていないのを買うことにします。山ほど積まれた巻きすしはどんどん売れて行くようですがお値段も普段より高く付けられているのではと思われるのに、一軒のお店は長い行列が出来ていました。巻きすしを恵方に向かって丸かじりする風習は関西が発祥らしくて関東へと延びて行ったと聞いています。売らんかなの商魂に載せられて色んな行事が生み出されるようです。

不景気の割にはデパ地下は不況知らずの感じで、歩くのも大変な位に混んでいます。他におこわ弁当に天むす、豚まんなどを買いました。やっぱり中華は想像していたのと中身が違っていたのか殆ど私の方に廻って来て結局食べきれなくて最後はごみ箱行きです。巻き寿司や天むすの半分は私が持ち帰りました。いくら欲張ってもやはり歳には勝てなくて胃が受け付けてくれません。京都に行く度に大きな荷物を持って駅の高い階段を上り下りをするのに限界を感じるようになり、これからは二ヶ月に一度の訪問を喜んでくれる姉に嵩張る荷物だけ送り、後は手土産程度を持って身軽に訪れる事にしました。




PR
戦時中にお米の配給が少なくて来る日も来る日もサツマイモやカボチャの代用食とか丸麦をゆがいた物などを食べていましたが、世の中が平和になり食べ物が溢れるようになると何時とはなしに遠ざけていた芋類を今では何となく懐かしく思えるようになっています。

今日も歩いて居る途中で一旦行き過ぎたのに”焼き芋”の看板と美味しそうな匂いや買っている人達を見ると誘惑に負けて買っていました。現在生きて居られるのは、あの時のカボチャやお芋が有ればこそです。此の子達は植えて置くと割合簡単に成長して食べられるようになるから食糧難の時代には随分助けられました。

カボチャと言っても今スーパーで売られて居るのは美味しいですが、日本古来のデコボコしたのは何だか水っぽくて、食べたく無い物の一つになっています。現在は外来種の栗ナンキンがはばを利かせていているようで、昔の日本にこんな美味しい南きんは有りませんでした。外国からの色んな輸入品で今まで食べた事が無かった珍しくて美味しい物が自由に食べられる事の幸せを本当に有り難いと思っています。
今まで何気に飛行機に乗って居ましたが先日テレビを観ていて分かったのが、パイロットになるのには200倍の確率だとか、3100人中、女性パイロットが15人{ジャル}居て、ライセンスも機種毎に違うそうです。フライトシュミレーター1機の値段が20億円で、トラブルに備えてエンジン・出火トラブルはマニュアルに従うとか、緊急時は必ずマニュアルを見て処理しなければいけない事などの訓練をします。機長になるに10年以上の経験がないと駄目だと言うことも知りました。

飛行機に乗った時、食事に結構熱い物が提供されますが、これはギャレー{食事準備室}で400食分が温められるようです。ヒートパットでメインディッシュだけに蒸気のパワーで加熱処理された物が出されます。同じトレーに載ったサラダには熱が行かないのです。言うまでもなくフアースト・ビジネス・エコノミーとクラス別に出される物が違うのと特別食が有り、宗教により食べられない肉類が有ったり、ベジタリアン用メニューとかアレルギー対応の物が有るとかで聞いてるだけで大変そうでした。


キャビンアテンダントのお仕事は客の搭乗30分前に乗り、酸素ボンベ・非常口・モニター・トイレの点検ギャレー・毛布の確認・パイロットとの打ち合わせやセキュリティーとか清掃も行って居るようです。化粧が濃いめなのは表情を健康的に見せる為で、めがねの着用は禁止されて居ますが、これは事故の時に危ないからです。CA{キャビンアテンダント}の腕時計は秒針の付いた物じゃないと病人が出た時に脈を計るのに必要だからとか、人の命を運ぶ人達のご苦労が良く分かったような気がして改めて感謝して居ます。

最近の凶悪な犯罪を見ていて何故って思う事が有ります。犯罪者が刑期を終えて刑務所から出てきても寝る所や職も無し、お金が無くなれば再び犯罪に走るようですが、先日も其の筋の関係者が語っていた言葉でちょっと気になった事が有ったのは、刑期中に模範囚として刑期の途中で出所する人は其れなりに社会復帰が出来るらしいのです。

刑を満期で出て来る者は獄中の態度も良くないから最後まで居るのだと言っていました。普通に生活をして居る我々は凶悪犯を簡単に出すなよと思いますが、裁判で決められた刑期を務めたのだから再犯で戻って来るだろうと分かって居ても社会に戻すしか無いのでしょう。彼等にして見れば再び凶悪な事件で捕まったとしても、慣れ親しんだ元の古巣に帰れば又三食付きで生きて行くのに拘束{こうそく}される以外は何の心配も無い場所が待って居るだけの話です。

今の社会は普通の人達でさえ就職難で大変なのに、ましてや獄中から出て来た人を気易く雇う所は無いから暮らしに困れば悪い事をするしかありません。裁判所は彼等が再び罪を犯すであろうと知りつつ出所させるようですが、何とか食い止める方法とか受け皿を作るとかが出来ないのでしょうか。何の関係も無い人達が犠牲になった事をニュースで知れば恐いし、凄い憤りを感じます。戦争が無くなり平和になったとホッとするのも束の間で、凶悪犯が蔓延{はびこ}る世の中になって行くのを目の当たりにして先行きがとても不安です。

今日テレビを観ていて戦前の風景で思い出した事があります。今の若い人達に半世紀以上前の日本の過去に、上空から爆弾や焼夷弾{しょういだん}がバラバラと落とされて街一面が焼け野原だったと言ってもピンと来ないのでしょうね。東京から大阪まで新幹線に乗れば二時間半ほどで移動出来る便利な時代になったのですから。

テレビで木造駅舎を見ながら思い出したのが子供の頃のことで、大きな駅に列車が到着すると赤帽さんと呼ばれる屈強な男性数人が居て、両肩・両手にセレブのお客に頼まれた大きな荷物を持ち運ぶ姿を子供心に興味を持って見て居ました。一般客は荷物が多い時は汽車に乗る前に手荷物扱いで別料金を払い預けると、行った先で受け取れる仕組みに成っています。今は宅急便という手段が有るので便利になったものです。

東京に住んで居るとき学校が夏休みになると神戸の祖父の家に遊びに行くのに、特急列車のツバメに乗って八時間ちょっと掛けての移動は結構退屈でした。でも途中の駅に列車が停まると汽車の窓を開けて売り子さんからお弁当や他の食べ物を買って貰えるのが嬉しくて苦にならなかったのでしょう。こんなのんびりとした風景が今では見られなくなりました。”狭い日本 そんなに急いで何処へ行く” と言う標語が何となく懐かしく思い出されます。

カウンター
カレンダー
04 2026/05 06
S M T W T F S
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
プロフィール
HN:
M子
年齢:
95
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD鑑賞
自己紹介:
冥土のほとりを歩きつつ、ブログ。
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[12/02 NONAME]
[01/18 NONAME]
[01/17 はんてふ]
[11/01 NONAME]
[11/01 ふーちゃん]
最新トラックバック
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
powered by NINJA TOOLS // appeal: 忍者ブログ / [PR]

template by ゆきぱんだ  //  Copyright: M子のお花畑 All Rights Reserved