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食欲が出たのに任せて機嫌よく食べていたら、胃に負担が大きかったのか胃もたれしています。動かずに食べてると、消化しにくくなってるようです。医師から調合された薬の多い事、長生きしたくなきゃ飲まなきゃ良いのにと思うけど、痛みや痺れに負けて飲んでいます。
暑いからクーラーの効いた心地よい部屋に籠って、外を眺めるだけで出て行く気は起きません。昨夜は雨と無数の雷鳴に怯えながら、もしも停電になったらどうしましょうと怖かったです。マンション暮らしで何が怖いかと言えば、停電になるとお水が出なくなるのと、たくさん買い置きしてる冷蔵庫内の物が腐ります。
上階に住んでるからエレベーターが動かなくなれば、足腰が弱ってるだけに階段移動はきついです。長い人生で何だかだと言いながらも、数年前の台風で隣とのパテーションに穴が開いたくらいでした。大阪市内のあちこちに住んで来たけれど、今まで住んだ所は全て良かったです。
私の持論で、高齢になるに従い都会で暮らすのが一番いいと思います。今は大阪の端っこに住んでてもバスや地下鉄の便が良いし、車の騒音に悩まされることも無く、静かに暮らせる終の棲家として良い所です。高齢者住宅として建てられてるので、各所に其れなりの気遣いがなされ満足して住んでいます。
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パソコンラック横に掛けられてるカレンダーの書き込みには、昨年の特筆すべき出来事を記入しています。去年の此の時期に小型冷凍冷蔵庫や電子レンジを買い替えに行ってたし、網戸を購入したりトイレのウオシュレットの水漏れで、新しい物と取り換えて貰ったりと短い間に色んな事が有りました。
八月の末頃には鬼の霍乱と言うか、私にしては珍しい発熱で体調を崩していたようです。高齢になってから体調を崩すと若い時とは違い、快復するまでに時間が掛かるし元に戻るのが難しくなったり、日を追うごとに動きが鈍くなるのが目に見えて情けなくなります。
テレビを見てると同じ年代の人でも元気に働いていらっしゃる方も居れば、もっと若くても弱っていらっしゃる人も居て、人生にはいろいろ有るさと思い、辛くても生きようと頑張ってるつもりでもやっぱりしんどいです。今日も一日中寝たり起きたりしてても、薬を飲むためにと言い訳しながらきっちり食べてます。
今日一週間ぶりに観葉植物に水を注ぐ時に「来年はお世話できないかもね」と呟きました。自分自身の事が何も出来なくなると想像するだけで、長生きするのが本当に怖いです。医学の進歩が有難い反面、其処まで延命治療をして頂かなくてもと思います。それにしても、やたら寿命が長くなりました。
今日は歯科医院に予約してる日です。外の気温が高そうだと、数年前に買った小さな扇風機が両側についた首に掛ける物に充電します。スイッチを入れ外に出れば強風に近い風が吹いているので、首に掛けた扇風機の電源を切りショッピングカーの中に仕舞いました。
此の扇風機の出番はいつ来るのやら。強風のお陰で暑さも苦にならず歯科医院に到着し、歯の治療を受けた後は何時ものようにスーパーで買い物をしてふらふらになりながら帰宅します。今朝息子から「手に入り難い筋肉痛に良く効く塗り薬を買ったので近々に持って行きます」のメールが届きました。
その塗り薬なら我が家にも買い置きが有るのを思い出し、今まで痛みで辛かった時に塗り助けられたのに、すっかり忘れていたようです。今夜お風呂上りに塗ってみたら、凄く楽になったのは良いけれど、ただ難点は匂いがきつくて、家にいる時は問題が無くとも外出時には気が引けると思います。
家の中に閉じ籠ってると、誰とも関わる事が無く気楽でも、出れば何かと世間話に花が咲き其れなりに楽しい物です。外で歩くときはマスクを外して良いとテレビで伝えてくれてるので、道中で人とすれ違う事が少なく、マスクをはずして歩けるくことが出来て楽になったけど、地下鉄に乗って遠出が出来ればもっと良いのと思います。
今日は終戦記念日で、昨日の事のように思い出すのは心からホッとしたことです。疎開先の女学校から学徒動員で軍需工場に行き働いてる時のお昼に、玉音放送が有ると知ってはいたけど私達が直接ラジオで聴いたんじゃなく、人伝に聴かされ帰宅していいと言われて嬉しかったのを覚えています。
神戸の女学校一年生で電車通学をしていた頃は、警戒警報が鳴るといち早く下校していたのです。二年生になった頃は神戸の東方に有る深江の軍需工場で働いていて、空襲警報が鳴ると山に向い逃げながら、余りにもしんどくて死んでも良いやって思っていました。
国道二号線を歩き住家のある三宮まで歩いて帰る道は、所かまわず一トン爆弾で大きくえぐられています。当時は馬が荷車を曳いていたので、あちこちに馬の死骸が転がっていました。湊川神社横に住んでる時に焼夷弾で焼けだされ、二度目は三宮に住んでいた朝、空襲のサイレンで国鉄の高架下に避難し、目の前で油脂焼夷弾がバラバラと落ち、家が燃えて行くのを目撃し事は忘れないです。
今まで自分が体験した戦時中に凄く怖かった話だけしてたけど、最近になり色んな人の話は、戦中に親を亡くし子供だけ残され、戦後に生きて行くのが大変だった話を聴く度に、親族に恵まれ守られていた私の辛さは大したことじゃ無いと知りました。同じ戦中戦後を体験してても、未だ知らない事がたくさん有るようです。
何かにつけて訪問しようとする人達に、衣服の着脱がし難いので来られたら困るから来ないでとお願いしてるので、お盆なのに誰も来なくて助かっています。戸建てと違いマンションの良いところは、どんな格好をしても誰の目にも触れる事が無いのです。
大した家事もしていないのに手の調子が良いもんだから、お風呂の湯船にゆっくり浸かっていたら汗がなかなかとまりません。直ぐに衣服を纏わなくても、誰に気を遣うことも無く過ごせることに満足しています。今夜は何を食べようか?と時間を気にせず作り始めたのは、皿うどんの野菜餡かけです。
目的も無く買い置いてるアスパラを入れたけど、文句を言う人は居なくて好き勝手に作れるし、私が食べて美味しけりゃ其れで良いんです。訪ねる人も無く寂しいと思われるでしょうけれど、一人で呑気に暮らせるのが有難いと思って居ます。医師から腱鞘炎と言われ、頚椎の異常じゃ無いと判ったのも良かったです。
コロナが少し落ち着いたら、梅田あたりに出掛けたいと思うのに、一向に収まる気配が無いのに苦慮しています。先日、固定電話に掛かってきたのは機械音声で、アンケートを取ってるとかで持ち家か賃貸か該当する番号を押すように、やばいと思い直ぐに受話器を置きました。退屈しのぎにもなりゃしない電話です。
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