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M子の、M子による、M子のためのブログ

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随分前に何度も電話をしてくれてた知人が居て、最近は全然音沙汰なしだったのです。ひょっとして病気かなと心配してたら、今夜久し振りに電話が掛ってきた声を聴くと元気そうなので一安心。此の頃テレビで宣伝してる、スマホで10分間話しても無料だと言う事らしく、掛けて来てくれてるのだと思っています。

遅い晩御飯を食べようとしてる時の、メールじゃ無く電話です。話し始めて10分前になれば話の途中で慌てて一旦切り、直ぐに掛って来るの繰り返しで、結局ご飯を食べそこない、仕方が無く今夜の食事は抜きました。何も食べずと言うわけにもいかずに、以前買い置いた侭の、賞味期限はとっくに過ぎた「一食おきかえ」のプロティン ダイエットをシェークします。

携帯会社が違うのに、10分間で一回切れば何度掛けても無料とは、随分得した気分です。ただ困るのは、話が盛り上がってる最中に時間が来るので、どこまで何を話してたかを忘れたり、一瞬し~んと何も聴こえなくなったりして、聴こえないから切るねと言い、向こうから掛って来るのを待ったりとえらい事でした。

常に一人暮らしが気楽だと言ってるけど、本当は人とお喋りするって楽しいものです。根っから気が弱いと言うか、私は暇な時間を持て余してるけど、相手に迷惑だと思われはしないかだけで、自分からアクションが起こせ無くて、いま気に掛る年配の女性がいるので、一度連絡してみようかなのダイヤルが押せません。



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古いメモを読んでると「大杉 栄」と「伊藤 野枝」の話が出て来ました。いわゆる二人はアナーキスト{無政府主義者}です。野枝に付いて、明治28年今宿{福岡県?}で誕生。6歳の頃に家が没落して子守に出され、其の内に文学本を読むようになり、小学校を出てからちゃんと働こうと伯母を頼り上京して、43年には上野女学校に入ったのに、44年8月に結婚させられたと書かれて居ます。

結婚して8日で逃げ出し、再び上京し教師と同棲してる時に大杉栄と出会いますが、彼は新潟県新発田市出身の社会主義者、元々は軍人の子で14歳で陸軍幼年学校に入るも、反逆精神から上京して20代の殆どを獄中で過ごしたようです。獄中で外国語を勉強します。野枝は平塚らいちょうの元で子供一人を抱え編集長として頑張ってました。

政党での野枝のかっやくする姿を見て、大杉は野枝に近づき恋に代わって行ったようです。やがて二子が生まれ長男は夫に、次男を引き取り大杉の元へ、大杉には妻と神近市子と言う愛人が居ました。神近さんは私が若い頃に政治家として大活躍して居た姿を、昨日の事の様に覚えて居ます。

日陰茶屋で執筆していた大杉と野枝の元に神近がやって来たので、野枝は宿を後にしました。神近は寝て居る大杉の喉を切り、自分も死のうとしたけど死ねなくて、懲役二年を獄中で過ごし、妻は離婚をして野枝は世間の批判を受けながら、大正6年に長女を生み「魔子」と命名、貧乏生活が続きます。

大杉は日本を脱出してパリに行き、演説してる時に逮捕、日本に送還されました。関東大震災の数日後の大正13年9月16日に甥と歩いてる時、憲兵に捕まり古井戸に投げ込まれ殺害されたのです。大正11年に4女ルイが生まれたと有るので、子供がたくさん居たのでしょうか。何時の時代にも政府と戦う人が居るようです。

随分前に書き留めた「山口 瞳」のメモ書きが出て来たのを見ると、大正15年生まれと書かれて居るので姉と同年齢です。68歳の時に末期癌で亡くなっています。32年間、男性自身の本にコラムを書いたり、週刊新潮にも血族・家族の連載を、「江分利 満氏の優雅な生活」を本にしたりなさってたようです。

5人兄弟の2番目で弟や妹が居て、彼は昭和14年に麻布中学に、19年に早稲田大学に入学の時に空襲で家が焼け、20年の7月に召集されたと書かれてるので、終戦直前の事だと思われます。21年に夫人となる治子さんと学校で知り合ってS24年に結婚し翌年に長男が誕生しました。

父は技術屋だったので、戦争成金で豊かな生活ができていたけど、無類の博打好きの上に浪費家だとか、母は芸事が好きな人、終戦後の25年に朝鮮戦争が始まり、父の仕事が再び良くなりますが、多くの借金をつくり、母も亡くなったりと大変だったようです。

彼自身は洋酒メーカーに職を得て社宅に住みながら、父の借金を返すためアルバイトに小説を書きはじめ、S38年、37歳のときに書いた「江分利 満氏」の本で直木賞を取りました。S42年に父が亡くなったので、横浜の菩提寺を訪ねると、遊女達の戒名がたくさん有り、祖母と母は遊郭の出だったのです。

父には妻子が居たから、先妻の子が一か月違いの兄でした。父と母は駆け落ちをして一緒になったことを、小説「血族」に母の事を曝け出して書いたり、父の過去を調べ、判決書に公文書偽造の詐欺で刑務所に入って居た父の事を「家族」と言う本にして出したのです。60歳の時に定年宣言をして、小説を辞めコラムを書き続けて、平成7年8月30日に亡くなられました。

今更ですが「山口 瞳」の書いた本に少なからず興味が湧き、読みたくなったので買ってこようとしています。

大体が宵っ張りなのに、オリンピックの放映のお蔭と言うか、此のところ昼夜が逆転し、気付けばウトウトと眠っていて、夢に出て来るのが亡夫だったり幼き頃の孫達です。夢の中では不思議に思わず、其れなりに楽しく過ごしてるので、決して嫌じゃ無いし、人の最後が近づくと穏やかな夢を見るのかな?な~んて思ったりします。

現代の厳しい暮らしの中で、多少の闘争心が無いと生き抜くには難しいと思うのと同じで、勝負事でも言える事は、勝たねばいけないのは分かっちゃいるけど、正視できません。オリンピックも日本が勝ったか、メダルが取れたかの勝敗を知ってからじゃないと観られず、勝ったと分かってからゆっくり観る事にしています。

体操競技はシルクドソレイユもどきの凄技に、人間離れの動きに感動しながら観させて頂き、生きてて良かったと思いました。選手の皆さんが日頃の切磋琢磨した結果がメダルに繋がり、本当に良かったと感動してる最中に、SMAPの解散の発表が有り、大々的に取り上げられてるのをみて、「此の時期になんでやねん」です。

2020年の東京オリンピック開催まで、私は生きてないと思いながら、皆さんの想像を超える事がいっぱい出て来て、生きてる実感を味わうことが出来るんじゃないでしょうか。色んな事が有るからこそ、人生が楽しめるし、辛いことや悲しいことも有るのです。嫌な過去も長生きしてる内に、記憶が薄れて行くような気がします。

毎年お寺に行く道の途中で、軽自動車に服を乗せ売りながら、占いもしてる高齢の女性が、初めて見た時から十数年経つから、人の事を言ってる場合じゃ無いけど、来年は果たして生きていらっしゃるかな?。通りすがりに大きな声が聞こえて来るけど、あれは占いじゃ無くて、身の上相談みたいです。

昔から「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言い、易の「八卦」は自然界や人間界の諸現象を八種の形で示したもので、占いは当たる場合もあるし、当たらない場合もありだから、占いの結果を気にする事は無く「当たるも不思議 当たらぬも不思議」なんだとか、私は良い卦が出た時は信じ、悪けりゃ~信じない事にしています。

随分前にハワイで殺された、政治家が占って貰う程に有名な女性占い師の、藤田こととめさん?だったと記憶してますが、ご自分の事は占えなかったのでしょうか、息子さんも友達に殺され、同じ男性に火を付けられて悲惨な最後を迎えられたようで、犯人として捕まえられた友達は、無罪を主張してるようです。

「陰陽師 身の上知らず」と言い、陰陽師{おんようじ}とは占いをつかさどった役人で占い師の事。占い師は他人の吉凶を占いながら、自分の運命は分から無いものだと言うこと。他人の事はよくわかるが、自分のことはわからないたとえ。「易者身の上知らず」とも言うようです。占いを商いにしてる高齢女性を見て、人の事を占ってる場合じゃ無いだろうと思いながら書いてます。



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