M子の、M子による、M子のためのブログ
翌日の朝はホテル定番のバイキングです。普段家で作らない物を少しずつ取ってると、結構な量になりますが、残さずに頂きました。食事の後に、砂の美術館に向かいます。今年は、中世の面影とおとぎの国を訪ねてと言うテーマのドイツ編で、グリム兄弟の銅像や「ヘンゼルとグレーテル」「ハーメルンの笛吹」「ブレーメンの音楽隊」等の一場面が、見事なまでに砂で作られて居ました。
私達がテレビでよく目にするのは、浜辺に砂で作られた巨大な砂像です。野ざらしなのと、期間が来ると取り壊されますが、美術館内に保存されてるので、一年間は其の侭で見る事が出来ます。毎年テーマが代わるらしく、今年はドイツですが、砂で世界旅行をするらしくて、来年は違う国の世界的に有名な物語に作り直されるようです。
次は、庭園日本一と言われる、足立美術館にも行きます。世界が認めた庭園と言うだけ有って、手入れの行き届いたお庭です。大きな石・木・コケ・滝・砂利を配した広大なお庭は、春夏秋冬の其々の趣を楽しめると書かれているのを見て、お庭に興味が無い私でも、まったく其の通りだと思いました。
植田正治写真美術館にも立ち寄りますが、芸術作品にとんと縁遠い私は、こうゆう場所はホントに苦手です。何より楽しみにして居たメインの昼食は、待望の海の幸満載と言える、海鮮丼を食べる事が出来ました。高齢になると、少しで良いから美味しい物を、食べる事やお喋りすることしか無いような気がします。最後に鳥取砂丘に行きました。
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昨日の早朝に、もう直ぐ付きますの電話で、到着を待とうと道に出ようとして、気付いたのが、引っ張ってるのはキャリーバッグだけ、バッグを忘れて居ます。大慌てで家に取って返しました。道に出て居ない私を心配して、敷地内まで迎えに来てくれたようです。こんな事は初めてで、詫びを言いながら車内へ、日本海側に向かい出発しました。
途中のサービスエリアで、朝食だと出された従姉妹の手作り弁当を戴き、腹ごしらえが出来た所で出発です。私は最初から鳥取だと思い込んでいましたが、着いた所は島根県の境港の土産物店でした。ちょっとしたお土産を買い、安来節で有名だと言う地で昼食を摂り、次は水木しげるの生誕の地に行き、鬼太郎の仲間達が並ぶネズミ男や目玉おやじなどの石像を見ながら、道路をゆっくり散策します。
次は松江城を横目に一路、夕日が沈む宍道湖へと車はひた走りました。強風だからでしょうか、湖なのに水面が大波で荒れてます。人々が湖面に沈む夕日を見ようと集まり、待ち受けますが、意地悪な雲が現れ、夕日を包み込むのを見て、残念な結果に諦めながら、引き上げを余儀なくされました。
途中のお寿司屋さんで新鮮なネタの夕食を摂り、皆生温泉で有名なホテルへ、従妹と私は室内のお風呂をパスして、大きな浴室の温泉に入り、一日中乗った車の疲れを落とします。車中から寝るまでの間、血の繋がらない従妹との会話は尽きません。寝付きが悪い私に、ご自分の誘眠剤を半錠下さったので、お蔭で直ぐに眠ることが出来たようです。
二日間の車中に少々疲れたので、続きは明日書く事にします。覆面パトにも遭遇したので、見た様子を書くので読んで下さい。今夜は早く寝るつもりです。
遅ればせながら、旅に行くのには歩行訓練をしとかなきゃ~と、取り敢えず近くに居る姉を訪問する事にしました。10分足らずの距離を歩くのに、腰は痛いし足が思うように前に進みません。従姉妹に誘われた時、二つ返事で「わ~嬉しい 体の丈夫が取り柄ですから」なんて言ったけど、今になれば旅に耐えられるかが心配です。
昨夜彼女からの電話で「娘婿が家の前まで送迎すると言ってるので、風を引かないように、着る物で荷物が多くなっても大丈夫です」と言ってくれました。今度の旅行も娘さんが薦めて下さったと聞いて居ます。実の親子でもなかなか旅行に行かないのに、此れが「合縁奇縁」と言う事でしょうか?。
明日は高速道路が車で混まない内に、早朝に迎えに来て下さるようです。一泊して無事に帰宅したら、鳥取での事をご報告させて頂くので、お気が向いた方は読んで下さい。今回の旅行で先日買ったキャリーバッグが、こんなに早く役立つとは、想定外でした。思い付いた物を次から次に入れても余裕が有り、良い物に出会えたと満足しています。
ただ心配なのは、毎日ぐうたらな暮らしのうえに、無料動画を夜更けまで観賞してるので、果たして早朝に起きられるかが問題です。乱れた生活をしてると、誰かが察知してくれるのか、軌道修正に協力の手を差し伸べてくれ、自らは行動を起こさなくても、目に見えぬ力が働き、動かされてる気がします。
知人からのメールを見て、世の中の家庭内で、複雑な問題を抱えながら暮らしてる人が居るのを知りました。病人の看病だったり、家庭内暴力で悩んでる親が居たり、家族間のいざこざで、精神的に追い詰められてる人達も居るようです。幸いな事に私は一人暮らしだから、揉め事とは縁遠いと思っています。
外見が立派な邸宅でも、家の中に入れば揉めてたりして、案外貧し気な感じの人達の方が、和気あいあいで暮らしてるのです。子供が幼い頃は仲が良い家族だったのに、親の離婚で子供がぐれたりで、親が子を子が親を殺したりの事件が多発しています。避妊する人も居れば、人工授精する人が居て、何だか複雑な気分に。
以前からよく耳にするDVと言うのは、必ずしも男性からだけじゃ無くて、女性からも有るようで、大分以前の事件で、妻が夫の頭を常時フライパンで叩き、挙句の果てに死に至らせたのを、テレビのニュースで観た事が有ります。若い女性の中には言葉の暴力が酷い人も居て、昔人間には到底太刀打ちできないと思いました。
小さな子供でさえ、子供なりのプライドを持っていて、人前で叱られると、恥ずかしいからでしょう、手が付けられない暴れ方をします。「一寸の虫にも五分の魂」とは良く言った物で、ましてや大人相手に、頭ごなしに物を言えば、反発して当たり前、「親しき中にも礼儀あり」お互いに譲り合う気持ちが無いと、不協和音が生じるようです。
娘からのメールで、私の生い立ちの流れを教えてほしいと行って来ました。時代的に誰もが、今のように平穏に暮らせる状況じゃ無く、大袈裟に言えば波乱万丈だったと思います。戦争で被災した上に、両親の別居などと家庭内も結構複雑で、簡単に語る事が出来ません。娘なりに何か複雑だと感じたのでしょうか。
以前にも戦争中に体験した事を、聞かせて欲しいと言ってきたことが有り、質問内容が長くて覚え切れませんでした。返信も長くなります。何しろ70年近い前の話だから話が前後したり、ふと思ったのがボケさせない為か?、其れともボケ症状が出て居ないかをチェックしてるのかな?と、半信半疑ながらの返信です。
先の戦時中に過ごした日々の質問の時は、何故私の過去を知りたがるのかと聞いた事が有りました。自分達が知らない戦争の事を、親が生きてる内に聴いて、自分の孫に伝えたいからだと言います。今度は伯母の難聴は何故だと聞かれ、焼夷弾の破片が神経を傷付けたと聞いていますが、女学校を出て直ぐ兵庫県庁に勤めて居ました。戦争は人の人生を狂わす魔物です。
長い人生で人それぞれの場面に出くわし、分かれ道に立った時、進む方向で運命が決まる気がします。私は流れに逆らわず、人に導かれるが侭に抵抗せずに来たのが良かったのでしょう。今までは人の情けにすがり生きてきました。「情けは人の為ならず」の恩恵を受けて来たので、此れからはお返しをしていかなくちゃ~と思って居ます。
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プロフィール
HN:
M子
年齢:
95
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD鑑賞
自己紹介:
冥土のほとりを歩きつつ、ブログ。
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