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M子の、M子による、M子のためのブログ

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今夜随分前に戴いた高野豆腐を炊きました。まさかの二年前の物だけど何とかいけるんじゃ~無いかと思ったのが、とんだ大間違いです。ぷんと古臭い匂いがして、こりゃあかんわって、お鍋から引き上げ煮汁を捨て、二度も熱湯で匂い消しを試み、最初から出汁を作り炊き直したけど、とてもじゃ無いが食べられません。

物の不自由な時代に育ってるだけに、捨てるのは忍びないけど心を鬼にして捨てました。高野豆腐と一緒に炊いた椎茸も賞味期限切れ、普段から気を付けてたのに、送って下さった人に申し訳ない事をしたと反省しきりです。考えたら昔は食品の入った物に、賞味期限なんて書いて無かったけど、期限切れなんか平気だったんでしょう。

今は冷蔵庫が有って当たり前ですが、昔は氷の冷蔵庫を置いてる家はほんの一部だったから、毎日お買い物に行くのが、家に居る主婦のお仕事でした。今は殆どのお母さんが外で働いていらっしゃるから、効率よく買い物をしたり、料理を作り置きする賢い女性が多いのに、私は長生きしてるだけで高野豆腐ごときでアタフタしています。

先日レモンを数個戴いたのは良いけど、どないしょう?って、ネットに助けを求めたら、塩レモンの作り方を教えてくれました。以前一回作った事を思い出したけど、もう一度作ってみよるつもり、でも料理下手な私のレパートリーが少ないから、塩レモンの出番が無くて困ってます。人の情けを無にしちゃ~いけないと思いつつ、何だか複雑な気分です。



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ふと思ったのが恥ずかしながら、昭和は何年までだったかな?と、考えて答えの出る事じゃ~有りません。案外と言うか明治は45年まで。大正は15年と此れは姉が生まれた年だから分かります。今迄に姉の代理で色んな書類に生年月日を書いて来たからでしょう。肝心の昭和が何年までだったのか、気付けば平成27年でした。

相手の年齢を聞いて、昭和の一桁なら自分の年齢に加算したりして、何とか分かります。ところが二桁以上になると計算が苦手な上に、昭和の終わった年が分からないから、何だかもやっとした侭で、大袈裟だと思われるでしょうが、一念発起して調べたら、昭和は64年までだと分かりホンマにスッキリしました。

序に明治は45年7月30日・大正は12月25日・昭和は1月7日迄で、8日から平成になりますが、明治・大正の人は殆ど鬼籍に入られてるけど、昭和は結構いらっしゃるので、ややこしい年号で言うより、何で西暦で言わないんだろう?って、パスポートは西暦を記入するので、簡単で良いなって思います。

昔から戦後暫くは距離を示すのに、一里{多分4K位?}と言って居たし、着物の寸法は一尺何寸とか、重さは一貫何百匁等でした。国が外国との関係で、今の名称に替えたのです。年号も統一してくれると、分かりやすくなるんじゃないかと思いますが、此ればっかりは日本古来の伝統にのっとり、無理な話なんでしょうか?。




今日テレビで「おっさんのレンタル」と言う番組を観ました。関西では珍しいけど、東京では結構利用されてるらしいとか。おっさんの年齢は30代から60代までらしく、何をするかは人それぞれで、ご飯を一緒に食べて欲しい人も居れば、友達のドッキリに協力してもらったりするそうです。

気になるお値段は一時間1000円、ポッキリかと思いきや、お茶や食事代に交通費も此方持ちだと知り、総計かなりの出費になります。おじさんの経歴は、元アナウンサーやPTAの役員だったり、南の島に移住してる人でした。レンタルの7割は30代から40代の女性で、恋愛やら生き方の相談らしいです。

居酒屋でお酒を飲みながら、職場での悩みを聞いて貰ったり、身の上話をしたりと、お父さん的に接してくれるだけで良いんだとおもいます。地方から都会に出て来て一人暮らしをしてる人が多く、隣は何をする人ぞ的な環境だから、人恋しくなって当たり前です。話たくても周りに聴いてくれる人が居ません。

歌の文句じゃ無いけど「東京砂漠」と言うように、学生なら級友、勤め人なら勤務先の友人と居る筈だけど、果たして都会で心を開いて付き合える人が居るでしょうか。少々物入りですが、其れなりのレンタル屋さんを通して、全然関係の無い人に悩みを聞いて貰ったり、疑似デートをして貰うのも後腐れが無くて良いと思います。

隣人も話し合えば皆さん良い人なのに、近年の建物の構造が、人との関わりを隔ててる気がして本当に残念です。昔のように日本古来の木造で、人情味溢れた生活を望むのは無理みたいだから、色んな問題を解消してくれる、おっさんに頑張って貰うしか無さそうな気がして来ました。

普段から字を読み慣れて無いので、色んな書類を手にしても、サラッと読み流して居ましたが、今年度の理事になってからそうは行かなくなったようで、読んだら署名捺印をして、次の理事に回してと書かれてるから、迂闊に済まされなくなりました。何が苦手と言っても、印が上手く押せません。何時も試し押しを繰り返してます。

最初にボケてると強調したのに、何もしなくても良いので、全てこちらでやりますから、に気を許したのが失敗でした。此れから先の二年間が思いやられます。と言っても悪い事ばかりじゃ無く、数日誰ともお喋りしなかったのに、理事会の有る日は数人の男女の理事が集まった席で、色んな世間話をするのが凄く楽しみです。

同じ屋根の下で、エレベーターに乗り合わせた見知らぬ人に、暑いとか寒いの一般的なご挨拶はしても、何処のどなたか知りません。記憶力が低いからでしょう、人の顔やお名前を覚えられ無い私は、せめて新理事さんを記憶しなくちゃ~まずいなって思うと同時に、神様が私のボケを阻止して下さったような気がしてきました。

此の頃は責任上、何に対しても反復する癖が付くようになり良かった?って、人間は年齢に関係なく、刺激を受ければ脳が活性化するんじゃないかと、一縷の望みを持つようになり、心身ともに若返って来そうです。家に籠って、あ~でも無い、こ~でも無いと一人問答してるのも如何なものかと思いながら、今日も暮れて行きます。

終戦後に生活苦からでしょう、米兵との間に生まれた子供が多く居て、その後に捨てられた子供達を引き取り、ご自分の私財を投じて育てていた人がいらっしゃいました。今は何処の家でもテレビが有って当たり前だけど、戦後10数年経ってもテレビの無い家が多く、冗談でアンテナだけでも立てとこかと言ってた時代の話です。

ご成婚を機にテレビを買った家も、其の時に戦災孤児や米兵との間に生まれた子供達を引き取り、お世話をしてる姿をテレビの映像で観て感動したことを思い出します。年代に依って、赤ちゃんをコインロッカーに置き去ったり、親の離別や行方不明とか経済破綻で捨てられる子供がいて、施設で育てられるのを知りました。

施設では職員が少ない上に、経験未熟から躾と称して体罰が加えられたり、社会の偏見から子供達が阻害されていたのです。今でも尤も頼るべき親に虐待され、挙句の果てに殺されてる子供がいます。今日テレビを観て居たら、大きな敷地内に数軒の家を建て、一軒の家に施設職員が居て、年齢をばらけ家族関係を構成させていました。

此処で育った一人の女性が大学生になり、独り暮らしを始めますが、学校が休みの時に里帰りをしに来ると、自分が使ってたお茶椀やお箸を置いてくれていて、我が家に帰って来た気がしてると言うのを、感動しながら観ました。子供が欲しくても産めない人も居るのに、虫けら同然に殺したり捨てる親が居ます。何とかならないものでしょうか?。

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M子
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女性
誕生日:
1931/03/05
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自己紹介:
冥土のほとりを歩きつつ、ブログ。
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