M子の、M子による、M子のためのブログ
戦後70年と言われ、色んな光景が思い浮かんできます。親と離れて疎開先で終戦を迎えた子供達が帰って来ても親が亡くなってたりして、孤児として暮らすしか無いのです。当時は小学生くらいの子が、靴磨き道具の入った箱を片手に、米兵相手に靴磨きをしながら、自分の稼ぎで生きていたようです。
朧げに思い出すのは、シュ~シャンボーイと詩で歌われてたようです。「ギブミーチョコレート」と兵隊におねだりしたりして、昔からよく言う「親は無くても子は育つ」確かに、親が居なくても子供達は逞しく生きて居ました。若い女性は心ならずもでしょうが、生きる為に夜の女として、良い人に巡り合えた人はオンリーで。
兵隊同士の喧嘩を目前で見た時の事、MPの腕章を付けた米兵がジープで駆けつけ、止めようとしても収まらず、拳銃を空に向けて発射していました。戦中日本の兵隊同士の喧嘩では有り得ない出来事です。お国柄とは言え、毎日ど派手な行動に肝を冷やしながらも、戦火と一味違うスリルを感じていた気がします。
幸いな事に祖父のお蔭で、バラック建ながら土地付の一軒家で住み、食べ物も其れなりに調達して貰い、十分とは言えなくても、当時としては余り苦労をせずに過ごせていた私は、靴磨きをしてる少年達の姿を遠目で見ていただけで、本当の苦労は知る由も無いのです。他の皆さんがテレビで戦中・戦後談をしてらっしゃるのを聴いてると、凄い体験をしてるんだとビックリすると共に、是非後世に語り継いで欲しいと思います。
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孫から胸の痛みを一人で痛がってないで、医師に診て貰わなきゃ~、こじれたら周囲に影響を及ぼすと背中を押され、今朝医院に行きましたが、レントゲンを撮っても異状が無いようです。Drにすれば此のまま帰す訳にいかないと思ったのか「今夜CTを撮るから、もう一度来て下さい」と言われて行って来ました。
午前の部で痛み止めを頂き飲んでるので、当然痛みは治まってます。初めてCTの機械を見ましたが、レントゲン技師の指示に従い、横臥の状態で万歳してると、大きく息を吸って10秒息を止めて下さいとの声が、此の動作を4回ほど繰り返すとお終い、後は医師の説明を待ってくださいと言われました。
午前と午後の診察で、ぽっちゃりした童顔で紺色のシャツ姿のお兄さんが、Drの後を着いて歩いてます。何者?と思ってたら、ポケットから聴診器が見え隠れしてたので、どうやら研修医さんのようです。院長が京大出だから、此の方も京大の医学部出身なんだろうなと思うと、何だか賢そうな顔に見えて来ました。
私が恐ろしいと思ったのは、痛みが無くなった途端に物凄い食欲、薬局で出して頂いたお薬はホントよく効いたみたいです。医院に行く道で「此の調子で体重を減らして行かなきゃ~」と心に誓った筈が、食欲が増すと同時に「お薬を飲むより、生きてる内に美味しい物を、いっぱい食べんと損するわ」と、体重の心配より健康が一番だと思うようになって居ました。
気が付くと今日まで五日間も外に出て居ませんでした。あの痛みは何だったのかと思う位、お薬の助けも有りで治ったみたいです。今回思ったのが、製薬会社の研究者の方にお願いしたい事、空腹でも痛み止めの薬が飲めたら良いなって、しんどい時は食欲が無いのに、空腹の時に薬が飲めないなんて、本当に辛いものです。
血圧の薬が無くなり掛けてるので、明日医院に貰いに行こうとしています。以前も救急車のお世話になる寸前で、死を覚悟したした事が有り、体調が良くなってから、診察を受ける予定日に医院に行った時、Drに大変だったんだと告げたら、何で救急車を呼ばなかったんだと言われました。
本人が救急車を呼べる時は、まだ余力が有るってことで、本当に弱り切ってる人が、自分で助けを求められないと思います。其れが証拠?に、病院のロビーで診察を待ってる皆さんはお元気そうで、患者さん同士の会話を楽しんでいらっしゃるご様子。一人暮らしの高齢者が病むと、家の中で耐え忍ぶしか無いのです。
笑い話で病院待合室の会話として「此の頃、〇〇さんの顔を見いひんけど、どないしてはるんやろ」「あの人は体をこわして、家で寝てはるらしいよ」と言う事で、病院に来られなくなった人の最後の噂が、「可哀想に、孤独死してはったんやって」と、其の内みんなの記憶から消えて行きます。孤独死なんて昔なら有り得ない事です。
今朝も胸の痛みに耐えかね目が覚め、こんな時に同居人が居なくて、一人暮らしで良かったと思いました。何故ならば少々心細くても、気兼ねなく大袈裟に痛がっても良いからで、家の中に病人が居ると家人も気を遣うでしょうし、慰めて貰っても私の痛みが和らぐ訳でも無いし、誰にも遠慮しないで騒げます。
突然夜中に痛いと叫ぼうが、誰に迷惑をかけずに済むからと、今は一人暮らしを楽しむ余裕が有っても、本当に動けなくなった其の時は、どうしようの心配は無きにしも非ずです。世間でよく言われてる、ピンピンしてて突然ポックリ逝ければ良いけど、理想通りに事が運ばないから厄介なんだと思います。
近年才能をお持ちの方が亡くなられたニュースを観て、勿体ないなって思っても、此れも運命だと諦めるしか無いのでしょう。男女が一緒になり、子供が生まれても、言わなけりゃ~親でさえ知られなくても済みますが、一旦この世に生まれて来た人が亡くなった時には、其れなりのセレモニーが要求されて大変です。
年齢順に逝くと限らないのが困りもので、役立たずが長生きして申し訳なく思う時も有りますが、一見役立たずの高齢者が居るからこそ、ヘルパーさんの働く場所を提供できるんだと思ったり、善良な人ばかりだと警察は要らないし、病人が居なければDrもお呼びじゃ無い、色んな人が織り交ざって、世の中が成り立ってるんだと思う事にして、堂々?と生きる事にしました。
明け方に脚がつって目が覚めました。経験の無い人には分かって頂けないと思いますが、死んじゃいたい位の痛さです。何とか起き上がったは良いけど、こっちも忘れてんじゃね~よとばかり、胸が痛さを強調してきます。幼児のように「痛いよ~」と言いながら取り敢えず、脹脛に常備薬の点温膏を貼りまくりました。
脚のケアをして少し治まった所で、今度は肩甲骨から乳房の周辺の手当てを、物凄い空腹時ゆえに鎮痛剤をのむ事が出来ません。一時押さえに効くかな?イチかバチかで此処にも点温膏を貼りますが、胸の痛みは横になってれば結構おとなしくしてくれます。相変わらず食欲が無いので、お昼過ぎまでお薬が飲めませんでした。
鎮痛剤を飲むと少し痛みが和らいだような気がして、次の服薬の時間が待ち遠しいものです。今朝の激痛を忘れる位になった途端に、食欲が戻って来たようで、と言っても食事じゃ無くて、柿ピーとかの間食に手を出してるので、折角2キロほど体重が落ちたのに、元の木阿弥になりそうな気配がしてきました。
普段の健康な時は、動けて当たり前のように過ごして居たけど、体の何処かに痛みが出ると、毎日何事も無く暮らせてた事が、如何に有難い事かと痛切に感じます。頭痛持ちだった私は、首からの上の痛みは耐えられへんと言って居ましたが、今回の痛みで、体の何処が痛くても耐えがたいと痛感したので、前言を取り消すことにしました。
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プロフィール
HN:
M子
年齢:
95
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD鑑賞
自己紹介:
冥土のほとりを歩きつつ、ブログ。
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