M子の、M子による、M子のためのブログ
忘れ物で一番多いのが傘だそう。自慢じゃ無いけど、私は傘を忘れたことは有りません。家のあちこちから折り畳み傘が出て来るのは、出先の売り場で傘を見かけると買ってるからでしょう。何本も古い傘が目に付くようになったのは、新しい傘に手を出すからで、古い傘が増えて行くのです。
時には訪問者が帰ろうとしたら外が雨だと、ワンタッチ傘の方が便利だろうと、此れを持って行ってと渡しても、傘は二度と返っては来ないのは、返さなくてもいいと言ってます。諺に「傘は戻らぬつもりで貸せ」と言ってます。先日凝りもせず急の雨降りに貸せる、安いビニールのワンタッチ傘を買いました。
それにしても傘は長持ちするな~と思うのは、絶対に使わないであろう折り畳み傘が沢山有るのに、二十年ちかく使ってる安物のワンタッチ傘をいまだに愛用しているからです。知人が言ってた「溜まった傘は、近くの駅に置き傘として持って行く」とか、駅で忘れ傘がたくさん有ると聴いてるのに、迷惑じゃ無いのかと思っています。
きょう目にした文は「財は一代の宝」です。財産を築き上げてもあの世に持って行けず、子供に譲っても長く守っていけるか分からない。確かに一代で築いた物を、三代目が潰すと聴いた事が有ります。知人の本家も心斎橋から見えるグリコの看板の隣に、同じ大きさの看板を掲げてた事が有りました。今じゃ会社の影も薄くなってるようで、栄枯盛衰を地で行ってる感じです。
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暇な物だからふと思ったのが、インフルエンザの予防注射をした者はコロナに罹る率が少ないのだろうか?です。コロナに罹った人に調査をしてみたら、案外おもしろい事が分かるのでは無いでしょうか。「バカの考え休むに似たり」今頃なにを言ってるんだ、化学者はとっくに調べてるよ。と怒られそう。
先日何かの書類を見てるとき、数字の次に、MARCH、西暦年号が、あ~マーチだと分かっても、何月の事かがわかりません。直ぐにカレンダーを見に行きました。英語のつづりを見れば言葉で言えても何月か??、戦時中に育ったので敵国語の英語はNOです。英語は女学校に入学した一年生まで、終戦の翌年くらいに希望者が習い始めた記憶が有ります。
一月から十二月までを英語では書くのは無理だけど、せめて言えるよう覚えるつもりです。英字のつづりを見て言葉に出来るようになったのはたぶん、子供が勉強してる時に自然に耳に入って来た「門前の小僧習わぬ経を読む」だった気がします。其のころ高校生の子供に「今日はミーティングが有るから遅くなる」と言われたこともあり。
ミーティングって何?疑問があれば聴き返すの繰り返しです。子供や孫達から色んな事を勉強させてもらいました。女学校に行ってたはずが、いつの間にやら軍事工場の旋盤の前で工員として金属を削っていたり、疎開先で百姓仕事や木こりもどきの仕事などと、学問以外の様々な経験をして来たことで、今は誰よりも想い出が多いのが自慢です。
数日前から言わなきゃよかったと思う事ばかり、口は禍の元と言うけれどまったくその通りです。後悔先に立たず、もやもやした気分がスッキリしないのは、お喋りが過ぎた罰だと思います。元総理大臣だった森さんだって失言し、オリンピック組織委員会の会長を辞任たくらいだから、私ごときの失言は可愛いものです。
それにしても小さいながらも波紋の広がりは大きく、どうすりゃ良いのかと悩みます。以前知人夫婦の揉め事を目前にしたことが有り、どうやら知られたくない事を妻が他人に言ったと夫が激怒してるのです。いずれ遅かれ早かれ噂になって知れる事だし、たとえ知られても人の噂も七十五日、自然におさまり、良し悪しに関わらず忘れられ、長く続かないと宥めた事が有ります。
人の事は冷静に意見が言えるのに、自分は年齢の割には失敗ばかりの繰り返しで、悔いの多い人生を送ってるようです。此処まで書くのにパソコン上に字の出るのが遅く、時間を要するようになりました。そろそろ買い替え時が来たのでしょう。中途半端な書き込みになりましたが、根気を無くしてるので、今夜はこれくらいで終わりにします。
コロナ迷惑の内でひとつだけ許せるのはマスク、日頃から卑下していた顔を強制的に隠せるのは有難いです。最近は太ももの筋肉に痛みが有り、やはり歩かなければ急速に筋肉の衰えが加速していくのが分かります。腰痛も酷くなってきたので売薬を飲んでるけど、老体に効く薬はもはや望めそうに無いです。
最近特に見たくないのは鏡にうつる顔、数年前に撮った身分証明写真と見比べ、絶対に信じたくない顔になっています。年齢は口許を見れば分かると思うのは、漫画にも表現されている巾着のようしぼむからでしょう。ある女性が言って居た「化粧は目元をだけにしています」半分だけ化粧をしてるって言ってた人もいました。
男性は素顔でも平気だけれど、女性は死ぬまで女で有りたいと思うから、美醜に気をもむのでしょうか。本当は健康に生きられてる事に感謝しなければいけないのに、贅沢な悩みを常に吐露してる私は「どうかしてるぜ」と反省しています。
先が短いと言い時間を持て余してるわりには、終活の準備が出来ていません。同居者が居れば別だけど、何をどう処理をすれば良いのか困るでしょう。書き残さなければと思いつつ身辺整理が手つかずですが、順番通りに亡くなる保証が無いだけに、最後に生き残ってるのが私だけだったりすることも無きにしも非ずです。
道を歩いてると梅の花が開花してるのを見て、ふと思い出したのは学問の神様、菅原道真の和歌「東風ふかば匂い起こせよ梅の花・・・」です。立ち止まって上を見上げたけれど、何の匂いもしません。花によりけりで香りの強い花も有れば、見た目の華やかさと違い、無臭の花もあるようです。
ちょっと調べてみようと検索して驚いたのは「怨霊から受験の神」に転身できた理由と有ります。藤原氏を恐怖のどん底に追いやった死者の凄み。学問の神・天神と思っていたのに、元は貴族たちを恐怖に陥れた「怨霊」だったとか。道真は中級貴族の学者の家に生まれたが、宇多天皇に寵愛され公卿に栄達。天皇は権勢を誇る藤原に対抗させるため道真を登用したとか。
息子の醍醐に譲位するときも「道真と藤原時平の助言を得て、政治をしなさい」と訓じたそう。道真は右大臣になれたが、貴族たちの反発を呼んでる時に、時平がチャンスとばかり、醍醐に告げぐ口をし、信じた醍醐は道真を九州へ左遷するが、二年後に無念の涙をのみながら亡くなります。
五年後に藤原菅根が雷にあたり死にますが、菅根は道真の弟子だったのに、師の失脚に加担した人物です。その後天皇の子の保明が二十一歳で亡くなります。安明は時平の妹が産んだ子供だった。時平一族が次々と死ぬのは道真の祟りと考え、人々は道真の霊魂の仕業と信じ、朝廷は平安京内に北の天満宮を建て、学問の家柄である藤原一族に管理させたのです。
人々は雷神という祟る怨霊を神社に祀り上げることにより、学問神という福の神へと変化させたと書かれています。調べてみたら上っ面だけで、知らない事ばかりです。他にも色んな事が書かれていました。
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プロフィール
HN:
M子
年齢:
95
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD鑑賞
自己紹介:
冥土のほとりを歩きつつ、ブログ。
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