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きょうはパーマをかけに行くのに早く起き、浴槽にお湯を溜め、昨夜洗髪した時のリンスを洗い流しました。贅沢な時代になったもので、今じゃ~各家に浴室が有って当たり前です。私が子育てをしてたときは、風呂敷に母子の肌着一式を洗面器と共に包み、銭湯に行ってたと当時を懐かしく思い出しています。
近所の銭湯が次々に無くなり困ったと思うのは、家の浴室を取り替える時の事です。カワックとか給湯器の取り換えは、数時間で済みどうってことは無かったけれど、さすがに浴室を取り替えるのは時間を要しそうだと心配しています。銭湯ばかりじゃ無く、昔あったお店も姿を消し、商店街はさびれて行くばかりです。
商店街の残り少ないお店の前に出てる物は、色んな種類の箱入りのマスク。付けられた値段は、たぶん安くなってるのでしょう。美容室で話題にすると、だんだん安くなってますよ。いっぱい仕入れたマスクが街に出回り、慌てて安売りしても売れないようです。商売するのは大変だと思うけど、何度も同じような噂に振り回されてるのに気付けよと思います。
誰かの一言で商店の棚が空になる、此の光景は何度も見て来てるからか、群集心理って本当に怖いです。最初の頃はご多分に漏れず私も走り回った一員ですが、戦時中じゃあるまいし、物が無くなるって事は無いし、普段から其れなりの備蓄はしとくべきだと思っています。
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昨日メロンを買おうか迷った挙句に桃を買ったけど、やっぱり欲しいなとの思いが強く、きょう買いに行こうと履いていく靴はどれにするかと迷いながら、殆ど履いていないスニーカーを取り出しました。おや先っちょが変だと見れば、つま先が巻き上げられた部分が剥がれ掛けています。
去年カナダに履いて行った新品同様のスニーカーも、気付かなかったけどこんな状態だったのでしょう。トロントの空港に着いた時に歩き難いと思ったら、その内に片方の底が剝がれました。きょう履こうとした靴も、白くて目立つから殆ど履かない間に劣化したみたいです。以前、靴修理専門のお店で「スニーカーの底が剥がれ掛けを修理して貰えますか?」に「完璧に修理できるか保証は出来ません」
テレビで時々見たことが有る、何十足も靴を持ち披露してる人の靴は劣化しないのだろうかと不思議です。安物なら得心が行きますが、一万円前後で買う私としては高いと思ってるのに、案外革靴の方が劣化し難いのかも。年齢的に白いスニーカーを履くのはどうかと思うようになってるのに、凝りもせずカナダで買った白いスニーカーを、馬鹿じゃ無いのって呆れながら見ています。
マンション購入時に付けられていた、廊下やトイレ、洗面所の鏡の上の電球は、三十年近く切れずに点いていますが、浴室の電気は切れたままで、スイッチの調子が悪いのか、電球が切れてるのか分からず厄介なことです。こんなに長生きをするんだったら、リホームをしときゃ~良かったと今更ですが悔やんでいます。
昨日は朝から体調が優れずと言うか、胸が締め付けられるような感じで、いよいよ来たかって思うと、一番に頭に浮かんだのは姉の年金の事です。私が運べなければ誰かに頼むしかなく、慌てて近くに置いてるノート大の紙に、郵貯の通帳とカードを分かり易いところに置き暗証番号と、お金を出し届けて下さいと書いた後、皆さんに此れ迄のお礼を書きました。
果たして遺言として役に立つかどうか分かりませんが、書かないよりは書いてた方が良いかなと思っただけです。普段から娘や孫に「息子に全てを任せてるので、何も言わないで欲しい」と伝えてるし、みんなも納得してくれてるから、問題は無いと思いながらも、ただ私の姉の事で迷惑を掛けるのは忍びなく、事務的に処理して下さいと頼んでいます。
姉も戦争の被害者で、二十歳の時に死線を彷徨い何とか命を繋いで来ました。頭も良く健康だった人が、敵機から落とされた焼夷弾で障害者となり、九十四歳までも長生きするとは信じられないです。先日もメールで、どちらが先に逝くか分からず、もしも私が先に逝ったら、年金の事は孫に頼んどくわねと言いました。返信で「宜しくお願いします」百歳まで生きそうです。
夕方と言っても明るく、歩くのが目的でスーパーに行きました。エレベーターで一緒になった小学生二人の少年と「こんにちは」と挨拶をし、降りた時に「さよなら」と同時に、一人の少年がハイタッチしてきたので、思わず手を合わせたけれど、大丈夫か?です。同じ方向へ歩き始め「お稽古に行くの?」「プールです」エレベーター前で別れるとハイタッチした少年は、何だかきまりが悪そうに歩いています。
もう直ぐ終戦から七十五年も経たんだと、学徒動員で工場の旋盤の前に立ち、何やら分からぬ鉄の部品を削っていた日の事を思い出しました。お昼にラジオで重大放送が有ると聞いてたけれど、私達は後から、昭和天皇のお言葉で戦争は終わったと教えられ、心からホッとしたのを覚えています。
女学校二年生の少女が、今まで見たことも触ったことも無い旋盤の前に立ってること自体あり得ないことです。子供心に無駄な戦争は早く終わって欲しいと、常々思って居ました。戦争が終われば安心かと言えばさに非ず、米兵に何をされるか分からないの恐怖が募り、精神的に落ち着かなかったです。
終戦になり何が一番良かったと言えば、警戒警報や空襲のサイレンが鳴らなくなり、夜はゆっくり眠れます。田舎に疎開していても、小さな軍需工場でも狙われる恐れが有り、現に工場の帰りに田んぼの畦道を歩いていると、小型飛行機が急降下し、バリバリの音と共に機銃掃射を受けたとき、此れ迄と覚悟を決めました。
その後に知ったのは、村の二軒で家の中に居た女性が二人、頭に銃弾をうけ亡くなったり、怪我をした人が居たのです。此の話は随分前に書いた記憶が有ります。神戸でうけた爆弾や焼夷弾よりも、飛行機が急降下し機関銃で狙い撃ちされる恐怖の方が何倍も怖く、生きてる限り忘れる事は出来ません。戦争は「百害あって一利なし」だと思います。
今日もなぁ~んもしない内に更けて行くようです。退屈しながら時間が来れば食事の支度をし、たらふく食べると気付けば居眠り三昧夢の中にいます。明けても暮れてもテレビは付けっ放し、何度も同じニュースを嫌ってほど観てるからか、記憶力が衰えてる割には誰かにご披露できるくらいに覚えてるみたいです。
興味深かったのは、キューバのカストロ議長の話や、チェゲバラは医師だったと言うこと。人口千人に対し、医師が六人。日本は人口千人に、二、六人。ファミリードクター制度が設けられ、一人の医師と看護師が二百世帯を訪問してくれるとか。余談ですが、テレビドラマで「わたし失敗しないので」のドクターXの女医は、キューバで学んだ設定になってるとも言っていました。
今までキューバの事は知らなくて、今日聞いた話は、院内感染をさせない対策として感染者と家族を隔離し、無料で治療させたりできるのは、医師を海外に行かせ、外貨を獲得させて財源を得てるのです。但し食料は今でも配給制で、貧富の差は無いと言っています。昨日大阪府知事の吉村さんが、ポビドンヨードで口をすすぐと、殺菌力が強く、重症化を防ぐと言ったら、マスク同様ポビドンが売り切れになったとか。
他の医師が言うのには「くちの中のウイルスが減っても、鼻の奥のウイルスは生きてるので、パッと吐き出す時にウイルスが飛び散るうがいを、私はおすすめしません」ウイルスは唾液を介して移すらしく、ポビドンヨードは治療薬じゃないので、妊婦さんや風邪の症状がある人、医療従事者、介護者、甲状腺に異常のある人は使わない方が良いと言っていたような。うろ覚えのことを書いて居ます。
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