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長年退屈することも無く暮らして来たのに、コロナ騒ぎでテレビを観ても面白くないのか、気付けば積み上げた本に手を出すようになっています。井上 靖 著 しろばんば 幼少期から中学に行くまでの事を面白く読み終えたので、今度は何を読もうかと探すまでも無く、数ページ捲って読むのをやめた、宮尾登美子 著の「朱夏」を読むことにしました。
「しろばんば」で本に馴染んで読む気が出て来たのか、書かれた文章に引き込まれて行くようです。戦時中の話らしく、十代の娘さんが色街で商う父親と後妻との生活から抜け出したくて、田舎の教員男性と結婚し姑との暮らしや、夫が満洲へ教師として行った留守に出産し、夫が迎えに来てくれるのを待つ様子が書かれています。
昭和十九年に高知から満洲に渡ったらしく、行く道中は生まれたばかりの赤ちゃんを連れての旅は大変だったとか。満洲では日本で手に入らなかったお米のご飯が、行った当時は食べられてたようです。水は出ないし住むところは汚くても、満人を使用人として其れなりに暮らしてた様子が書かれ、私が全然知らなかった満洲での生活を、興味深く読むことが出来ました。
人の噂として聴いた事は有っても、満洲はどの辺だったのか今の地図を見ても分かりません。一時期の日本人は良い暮らしをして居たのに、終戦を境に恐ろしい目に遭ったと聴いて居ます。汽車の情景は、私も田舎から神戸に移動するのに貨物列車だったり、普通の汽車でも扉は開きっぱなし、手摺を持つ手を離せば線路に落ち怪我をするか死ぬかのどっちかで、今となっては懐かしい思い出となりました。
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コロナ関係の事が書かれた物を読めば、目・鼻・口を触るなと、言われてみれば何故か手が行くのは顔の周辺です。出掛けて帰宅したら玄関先で服を脱ぎ、浴室に直行してシャワーで洗い流せと書いてあるけど、そこまでしてる人は余りいないだろうと思いながらも、私はせいぜい手を洗うだけ、買って来たものを其の侭冷蔵庫に入れる行為は、多分やってはいけない事なのでしょう。
人に依ると買って来た食品を、一個ずつビニール袋に包み冷蔵庫に入れてると聞いた事が有ります。清潔すぎて抵抗力を失う場合も有るかもと思いつつ、でも罹患したらこれも運命と諦めるっきゃないでしょう。歩いてる時に、家の軒先に置かれたプランターの花が誇らしげに咲き、人々の目を楽しませてくれます。うちの年老いた紅白の胡蝶蘭も開花して、毎日和ませてもらっていたのに、二か月を境に一輪ずつ花がしぼむのを見てるのが辛いです。
今は私の番が来たと言わんばかりに、ベランダに置いてるサボテンが、年々勢いを増し子分と合わせて八個が雁首を揃え、巨大に成長した大親分の足元で、子分たちもそこそこ成長し、最近は五個の子サボテンの頭のてっぺんに、親分に敗けるものかとばかり赤く小さな花が数十冠状に咲いています。お水を一週間に一度だけで肥料もあげていないのに、植物の生命力は凄いです。
来年もこの子達の成長が見られるかなと、毎年同じことを思いながら、植物を支えに生きて来た気がします。いずれ私と同じ運命が待ち受け、手に負えない植物だけに、遺された不用品と共に捨てられると思うと哀れです。せめて私が生きてる間だけでも、観賞してあげることにしました。何しろ暇なもんで、話し相手は花だけです。
私にとって絶対に必要な膏薬だから、ポイント五倍の日の今日は買いに行かなくてはと出掛けます。他に要る物はと見ながら湿布薬専用棚に到着、いつもの場所に目指す膏薬が見当たりません。同じ系列のドラッグストアは数年前から置かなくなって居たけど、此処は売ってるので安心してたのに、レジで尋ねたら「置いて無いのなら、売って居ないのだと思います」
買い置きは有るけれど代用品で、肩こり痛・筋肉痛・肘の痛み・腱鞘炎に効くと言う貼り薬を買う事にしました。他に使い勝手の良い商品が姿を消してるので直接会社に電話をし、どこに行けば買えるか聞こうと、商品に付いてた東京の会社に電話を掛けたら録音テープが流れ、コロナで電話の受付はしていません。ネットでお願いしますとか?あ~私には無理だと諦めました。
昔から「鰯の頭も信心から」と言いますが、自分に適した物が絶対だと思うのか、無くなったらどうしようの不安ばかりが募ります。以前も愛飲していた薬が店頭から姿を消したことが有り、その時も直接会社に電話をして送って貰ったことが、一回きりで辞めたのは、そこまでする程の物じゃ無いと遅まきながら気付いたからです。
良く言ったもので「過ぎたるは及ばざる如し」思い込み過ぎるなと言うことでしょう。帰りにスーパーに寄り、海鮮巻き寿司や果物などを買いました。誰もが普通にマスクを掛けてお買い物をしています。今は辛抱できても、夏になっても掛けなきゃいけないのかと思うだけでしんどいです。私は顔が半分隠れるので、思うつぼと喜んでいたけど、今年の暑さは半端じゃないぞと覚悟しています。
今までに何冊も本を買ったはいいけど、途中で投げ出すか読まずに放置した儘だったことか、今度も途中で読まなくなると思って居たらさに非ず、幼少期から小学生の日常生活の描写を興味深く読んでいます。転校生に持つ感情は、小学校に進学して直ぐに転校を繰り返していた自分と、重ね合わすことが出来ました。
山間{やまあい}の学校に街からの転校生は物珍しく、からかう絶好の対象の様子を読みながら、私も幼い頃に両親の別居で、神戸の母の実家に住んでいたことが有ります。話し合いが付いたのかやがて、父・姉・兄の住む東京に転校した小学一年生の頃から父が亡くなる五年生まで新橋で暮らし、また母の両親が住む神戸の小学校に転校することになりました。
元々生まれた時から小学校に行く直前まで、東京で暮らしていたからでしょう、東京に転校しても関西弁が話せなかったのか、イジメられる事も無くすんなり馴染めたのか、友達と仲良く過ごした思い出ばかりが蘇ってきます。東京から神戸への転校は、学校の先生や近所のおばさんまで、アクセントの違いに興味を持たれて大変だったことも、良い思い出となりました。
ふと本を読んでる場合じゃ無いと気付き、キッチンへ今晩の食事の準備を、私がやらなきゃ誰がする?と呟き、冷蔵庫から煮物らしきものを取り出し、何が入ってるのかとお箸で掻き混ぜます。何が入って居たかは内緒、取り敢えず他の物を継ぎ足し煮込む途中で味が薄くなったと、味の追い足しに刻み生姜を、これで美味しくなった筈と言いながら、何故か深いため息を付いて居ました。
ゆっくりと腰を落ち着け、買った本を読もうと数ページ捲ったあたりで、いつものように睡魔が襲って来ました。若い頃と違い適当な明かりと、視力が必要になってると気付き、天井からの明かりにプラスしてテーブルにスタンドを置き、普段かけてる老眼鏡にルーペ付きメガネを重ねたら、読む環境が整ったのでしょうか捲るページ数が多くなっていきます。
小説の「しろばんば」は、五歳の少年が両親と離れ、亡くなった曾祖父の妾{めかけ}の老婆と二人で、山村の土蔵の中で暮らしてる情景を少年の目で見たままを書かれてるのです。今時の人は知らないで有ろう当時のことを、懐かしく思い出される文章に思わず引き込まれ、夜が白むまで読んでいました。
少年が数年ぶりに両親の所に会いに行く列車で、夏だったのか窓から入ってくる石炭の煤{すす}や、車中での人の触れ合いなどと、地方なりに開けた所と山すそに住むのとは、街の雰囲気が全然違うので、親が住む街で迷子になった時の不安な気持ちは、私の子供の頃に味わった苦い思い出と重なり懐かしかったです。
田舎から遠く離れて住む親に会いに行く時、村人や友達の多くが見送りにきて、お土産をくれたりと賑々しく見送る様子が目に浮かびます。新しい下駄を履かされたらしく、汽車に乗って気付いたら裸足です。慌てて探してもらったと書かれています。日常は藁の草履を履いていたから、下駄は苦手だったのでしょう。
両親に見送られ列車に乗る時に、戴いた物や自分たちで買った多くのお土産を「赤帽」{あかぼう}のおじさんに託したと書かれてるけど、赤帽って何?と知らない人が多いと思います。昭和の何時ごろまでだったか、荷物が多くて大変な時は、駅のホームで赤い帽子をかぶった男性に頼むと、いくら払うか知らないけど運んでくれていました。本は此処までで三分の一読んだみたい。
死ぬまで知らずに済んだ筈の田舎暮らしが、戦時中に田舎に疎開して知ることが出来たし、黒い煙をはきながら走る機関車、田園を照らし沈む夕日の美しい光景が今でも目に焼き付き、良い思い出として忘れる事は無いです。戦前の履物は都会でも普段は下駄です。買いたくても売ってない戦時中は、疎開先で私も藁草履を履いていたな~。
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